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HOME  >  アクティブワールド  >  海外ボランティアとなる  >  バクー便り 7〜9

海外ボランティアとなる

バクー便り…1〜3 | 4〜6 | 7〜9 | 10〜13 |

バクー便り 7〜9

アゼルバイジャン共和国
Republic of Azerbaijan
アゼルバイジャン共和国国旗
  • 首都:バクー
  • 人口:826万
  • 面積:8万6,600平方キロ
  • 言語:アゼルバイジャン語

バクーからの便りその7

(2006年9月)

このところ地方へ行く機会があり、首都バクーとは違った地方の様子を見てくることが出来ました。
バクーは人口が2百万人を超える大きな都会で、外国企業や外国人もたくさん居り、町並み、車の数、人の数、商店街は他の国でもよく見られる都会の景観があります。バクー市には、世界遺産に指定されている城壁都市とか、大きなバザール、モスク、それに規模は小さいながら地下鉄まであります。バクーに住んでいる外国人向けの商品を揃えている店もあり生活レベルはまあまあというところです。反面、近年車が急激に増えすぎたせいか、道は時々渋滞し苛々したクラクションの音が鳴りつづける事もしばしばです。

交通マナーは極めて悪く(といっても途上国は皆同じように思いますが)人も車も交通ルールを守りません。車の運転免許をまともに取得している人がいるのかどうか疑問なくらいで、皆、免許はお金で買うものだと思っているのかもしれません。(うちのスタッフの一人が運転免許取得のため警察に電話をかけ自動車運転試験場の場所や教習所の場所を聞いたところ、「何でそんなことを聞くのか。免許が欲しければ450ドル出せば売ってやる。」と言われたそうです。さもありなん、ここでは交差点で、歩行者はもちろん車ですら赤信号でも止まらないし、特に車はちょっとでも隙あらば少しでも先へ行こうとするため、交差点でもきちっと停止せず、ズルズルと動いているため、横断しようとする歩行者にとり危なくてとても困ります。

車線変更でも我々には思いも付かない様な車線変更をしてきます。バクーは右側通行ですが、片道3車線の道路でも一番右の車線を走っていた車が突然、左折のため一番左側の車線に切り込んできたりします。幸か不幸か道路は広いため結構このようなことがまかり通ってしまいます。
又、信号機の故障もたびたびあり、そうなると交差点は全くの無法地帯と化します。何しろ「譲る」とか「お互い様」と言う概念を知らないのではないかと思われるくらい「我先、他人無視」特に、「歩行者より車が偉い」主義がこびりついているように思えます。ちょっとでもいいから他の人の迷惑を考えればいいのにと思うこと、しばしばです。バクーは都会の良くない部分を持つところでもあります。

でも、バクーから車で30〜40分も行けばのんびりとした景色が広がります。道路では車以外にも羊とか牛の群に出会うこともあり、さすがの車族も動物の群れにはかなわないのか彼らのペースに合わせて徐行せざるを得ないようです。

ピンクレーク

3週間前に、バクーから車で40分くらいの距離にあるピンクレークと呼ばれている塩湖へ行ってきました。かなり大きな湖ですが塩分が濃く、天然の塩を大量に産出しています。湖岸に塩の小山が積上げられ馬車やトラックで積み出しています。真っ白い塩は料理用に最適とのことです。やや灰色がかった塩もあり一つの種類だけではないようです。何故ピンクレークと呼ばれているかと言うと、文字通り、ピンク色の湖水が見えるからで、これはヨードだそうです。湖畔には、関節炎の養生のために来る人達用の宿泊施設がありました。(足を湖水につけて治療するのだそうです)

ピンクレークは景色としてもなかなかのもので十分観光資源にもなりそう(イスラエルにある死海と同じ)に思いますが、バクーの住人でこの湖のことを知っている人はあまり多くないようです。
同じようにバクー近郊で泥火山と言われる場所−ガスとともに泥がブクブクと噴出して数多くのミニチュア火山が地表に突き出していえて別府温泉の坊主地獄のような感じのところ‐も外国人観光客にとっては大変面白い景観なのですが、地元の人でも殆ど行ったことが無いようで場所を聞いても知らない人がほとんどです。
アゼルバイジャンでは「国内を観光」すると言う習慣があまり無いとの説明を受けたことがあります。確かに、いわゆる名所旧跡にしても一部の場所を除いて(ほとんどが外国人向け)その周りにお土産屋さんとか飲食店とかが全くありません。
でも、今後アゼルバイジャンの生活水準が上がっていけば、観光とか、娯楽関連産業は発展していくのでしょう。

このところ週末を使ってマイクロファイナンスの現場視察のため、地方都市、農村地域を数箇所訪問しました。日本大使館の支援プログラム(草の根無償マイクロクレデイットと呼ばれる支援プログラム)へのお手伝いも兼ね、大使館スタッフの方々と地方のマイクロファイナンス組織の活動を把握する目的で、バクーから4〜5時間離れた地域を訪れました。

マイクロファイナンスがどんな人たちに利用され実際どのような使われ方がされているのか、小額の資金を借り入れ(300〜1,000ドル)で小さな縫製店や、絨毯の生産、小売店、床屋、車の修理、果物の栽培、家畜の飼育、酪農製品の生産などを行っている人たちの現場を見に行きました。これらのマイクロファイナンスは地元NGOが先進国NGOの資金、技術支援を受け立ち上げられたものがほとんどです。アゼルバイジャンの場合、アルメニアとの戦争によりナゴルノカラバフ地域の人が難民となり(約2百万人)これら難民に対し多くの支援プログラムが提供されています。基本的に難民は劣悪な住居で就く仕事もないと言う状態です。マイクロファイナンス機関はこれらの難民に対しても資金支援、開業のための支援を行っています。

彼らは、色々な地域に分散し小さなコミュニテイーを構成しています。例えば、元病院や学校だった古い建物をアパートに改修し集団で住んでいます。アパートの一室にミシンを持ち込み縫製業を開始した人、小さな商店を開業した人、理髪店を始めた人など様々です。皆本当に小さな場所(理髪店は席が一つで店と言っても板で囲ってあるだけの小さなスペースです)でささやかにやっています。小売店では、難民が来て商品を買う場合代金を取らない(お金が無いのを知っていることもあり取れない)こともあるそうです。
一方、マイクロファイナンス組織の支援を受け自営業を始めた人の中には成功して企業化し多少の従業員を雇用するなど地域経済の発展に貢献しているケースも出ているようです。まさに「草の根パワー」で、今後の可能性に期待できるのではないかと思われます。

農業関連では、耕作地を持てない難民の人たちは、家畜の飼育、酪製品生産を中心にしているようです。マイクロファイナンス機関は、難民と地域住民の融和という問題もあり地域住民に対しても同じような支援を行っています。地域住民は土地を保有しているため、農産物、果樹の栽培などの分野が主のようでした。
農村地帯に行くと、緑が多く、のんびりとした雰囲気があります。人々は控えめで当初はかなり慎重なスタンスで我々外国人に接してきます。何処でもコミュニティーの長老、リーダーが必ず出てきます。
明るい積極的なタイプがほとんどでした。日本人は珍しいらしく(と言うより、始めての人が殆ど)我々はたちまち、子供達を含めコミュニテーの人に囲まれてしまいます。彼らとのコミュニーケーション上、デジカメは非常に役に立ちます。

先週は、バクー近郊のアプシェロン半島(カスピ海に突き出た半島)へ行ってきました。目的はアザラシを見ることで事前に何処が良いか何時ごろが良いか何度か聞きまわりましたが、答えは人によって全く違うので、取敢えず一番確かそうと思われる意見に従って、朝早く出かけました。(アプシェロン半島の先端に島がありそこでアザラシが見られるがアザラシは早朝にしかいないとのアドバイス)アプシェロン半島は殆ど荒野で人の澄む地域は限られていました。軍事施設が多くありました。半島の先端に位置する島は思ったより大きい島で、古くから石油が採掘されてきたそうです。今では島の沖合いで採掘しています。
島には、橋が架かっておりそこには数人の釣り人がいました。漁船も数隻繋がれていましたが橋の途中で車を降りて写真を取っていると、どういうわけかユニホーム姿の軍人?が来て写真は駄目だと制止されました。もっともそのときまでに殆ど写真は取ってしまっていたので実害はゼロでした。何が問題なのかは理解できませんでした。(橋、灯台、石油関連施設?)

残念ながらアザラシ君にはお目にかかれなかったのですが、海岸や砂浜を散歩して、亀や海蛇を見つけたり結構楽しい時間でした。アザラシは別の場所にいるよと地元の人は言っていました。バクーへの帰途、石油長者の別荘を改修して作った植物園や最近建て直された有名なモスク(バクー市にあるどのモスクより立派な建物で多くの人々が訪れていました)に立ち寄ったり、イスラム聖者ゆかりのモスクを見学したり、レストランでハエと蜂に悩まされながら、おいしい食事をしたり結構面白い半日を過ごしてきました。次回はアザラシを見たい!

加藤倭朗

バクーからの便りその8

(2006年10月)

先週の土、日曜、アゼルバイジャンの北部、ロシア(ダケステン共和国)との国境に近い町ナブランへ行ってきました。ナブランにはこの旅行に誘ってくれた方のダーチャ(別荘)がありそこで週末を過ごそうというプランです。
ナブランは、バクーから車で約3時間カスピ海に面する町でロシアとの国境に接しているところ。 別荘の持ち主は、アゼルバイジャンの陸上競技選手でアテネオリンピックにも出場しているアリべイ君という人(のご両親)アリベイ君はトルコのアンカラ大学で勉強しそこで知り合った日本人留学生(東京外大のトルコ語学科)の彼女がいるという青年です。

彼女はトルコがほぼ完璧なのですが、(アゼルバイジャン人のアリベイ君もアゼルバイジャン語とよく似ているトルコ語はネイテイブ同様)、日本語を習得するために彼女とはいっさいトルコ語ではしゃべらないと言うルールをきちんと守ったお陰か彼の日本語はかなりのレベルです。(彼の日本語単語練習帳を見たのですが、相当難しい漢字の単語が並んでいました)アテネオリンピックのときハンマー投げの室伏浩二選手と知り合いになり、それ以来名古屋に行くと彼と会っているようでそのときの写真なども見せてくれました。

ナブランはカスピ海岸にあるため夏のリゾートとして開発が進んでいる地域でもありますが、彼のダーチャは、森の近くにあり典型的田園地帯。
お陰でさまで、久しぶりにゆったりと静かな田園ライフを体験出来ました。とにかく静かで物音と言えばは動物の鳴き声くらい。
周りには羊、牛、馬、鶏、ガチョウ、七面鳥が歩き回っているし、彼のダーチャにはお隣から子犬や子猫が遊びに来ていてかなりにぎやか。たまたま、ハリネズミが出てきたと言うラッキーな出来事があり、みんなで写真をとったり抱っこしたり(ハリネズミには痛くないように抱く方法がある)大騒ぎ。

近くの森には、狼を含め色々な動物がいるそうです。その森へキノコ採りを兼ね散歩に行った。たくさんの種類のキノコが生えていてアリベイ君がこれは食べられる、あれは食べられないと説明してくれた。小さいころからこの森に来て言うので良く判る様になったそうです。
ある木の前では木を背にして、木から「精」をもらうのだと言ってしばらく立っていた。男性は木を背にし、女性は木に抱きつくように立つのだそうです。森の中には古い墓地がありそこを通るとき彼はしばらくお祈りをしてからさ先へ進んでいました。死んだ人の魂を休めるためだとのこと。

ナブランにはレズギン人という民族が多く住んでいます。トルコ系の民族とか、ロシア系の民族のように後からこの地域に移り住んできた民族ではなく、所謂先住民ですが、金髪で白い肌の人たちで、言葉はレズギン語(スラブ系でも、トルコ系でもない言語)が言語。でもロシア語も話します。だから、朝、村の道を散歩していてもアゼルバイジャン語ではなくロシア語で話しかけられる。

アリベイ君のダーチャにも近所の子供たち(レズギン)人が遊びに来て、ロシア語のじゃんけん(グー、チョキ、パー)をやったりお互い興味津々で面白い時間をすごした。ナブランの北はダゲステン共和国でここにも多くのレズギン人が住んでいるとのこと。ロシアのカスピ海沿岸には、イスラム教徒が住む小さな共和国とか、仏教地域で知られているカルミキア共和国とか他にもいろいろあるよう。カルミキアには昔、仏教が伝えられ、今も寺院などが残っているとのこと。シルクロードも色々な支線ルートがあるようです。

アリベイ君は、日本人の他にも色々の国の人をここへ招待しているようで、まさに民間親善大使のよう。スポーツマンで積極的な性格、しかし最後迄きちんとやる意思と能力を持っている(そうでないとオリンピック選手にはなれない)明るい青年でした。
良い若者に会えることが出来てラッキー。ナブランの空気も景色も、田園のライフも大変良い週末でした。

加藤倭朗

バクーからの便りその9

(2006年11月)

先週末にかけグルジアの首都トビリシへ行ってきました。コーカサス3カ国を対象とし、次世代のリーダーつくりを目的とする国際セミナープロジェクトで講演するためで、グルジア共和国のNGOがセミナーの主催者です。このNGOは日本の財団からの資金援助を受けており、その関係から私に半日ほど日本の経済、金融の現状や問題点などを話して欲しいという依頼があったものです。
アゼルバイジャン、グルジア、アルメニアのコーカサス3カ国の官庁、民間企業、NGOからそれぞれ5名の若者が参加し約2週間セミナー研修を受けると言う内容のプログラムです。

アゼルバイジャンとアルメニアはナゴルノカラバフという領土紛争(現在は休戦状態ですが一時はかなり状況が悪化し、百万人超える難民を生み出すに至っている)を抱えており、通常であれば両国の人々の接触は困難なのですが、グルジアと言う双方が国境を接している国で行われるこのプログラムは、両国の若者同士が交流できる数少ない機会を提供しています。

今回のセミナーの講師は日本を含めアジア各国から招聘されています。慶応義塾大学総合政策学部の渡邊教授の担当したプログラムでは、アゼルバイジャンの若者にアルメニアの政策当局者の立場、アルメニアの若者にアゼルバイジャンの政策当局者の立場を想定させ、それぞれ現状とは全く逆の視点から意見を述べさせると言う趣向があり、皆、大変盛り上がっていました。

領土問題というのはそう簡単な解決方法がある筈もないのでしょうが、望みは無きにしも非ずなのかなと思いました。 ところで、バクーからトビリシまでは飛行機で約1時間、列車だと約12時間の距離です。
11月2日の午前7時40分にバクーを発つ飛行機に乗るべく、朝5時にアパートを出ました。いったん飛行機に搭乗したのですが、イランからの乗り継ぎ連絡便からの荷物運搬が遅れたらしく、イラン人の乗り継ぎ客数名とクルーとの間で交渉が行われその間1時間待たされました。
ところが荷物は無事機内に積み込まれたはずなのに、飛行機は離陸せず、そのうち「トビリシ空港が突然閉鎖されたため出発は当分見合わせる」とのアナウンスがあり全員空港内へ逆戻りとなりました。

トビリシ空港が閉鎖された状況の理由の説明は無くまた、いつごろ出発するのか、それとも今日は出発できないのか、何の放送も無いまま結局約6時間空港内で待たされることになりました。同じ機の乗客のパキスタン人たちは以前にも同じようなことはあったよと言って、あっさりとしたもの。
他の乗客も含め皆さんの我慢強さ、と言うか諦めのよさに感心しながら6時間待った後、幸いにもトビリシへ立つことができました。
翌日、2日の午前中にトビリシ空港が閉鎖されたのか聞いてみると、閉鎖された事実は無いとの返事で、飛行機の遅れた真相は不明です。

この便の運行はアゼルバイジャン国営航空ですが、顧客サービスと言う点では大いに改善の余地がありそうです。形式的にはそれなりのサービスを提供する体制を持っているのですが、その実施となるとあちこちでボロが出てしまいます。
例えば、搭乗チェックインは当然コンピューターシステムが使われているものの、係員がカウンターにいないとか、大勢のチェックイン客が並んでいても、処理をしているのは1名の係員だけとか、マイレッジサービスを宣伝している一方、係員がマイレッジサービスの登録方法を知らないとか…どの途上国でも見られる現象だと思いますが、まさに仏作って魂入れずを地で行っている感があります。

先進的技術やシステムの形式的導入は簡単ですが、それらを運用、実施するスキルやノーハウはそう簡単に採り入れる事は出来ません。
人の教育訓練が欠かせないからで特にサービスセクターでは、顧客の立場に立った視点が必要不可欠ですが、相変わらずソビエト時代のやり方がまかり通っており、サービスの提供を受ける人々もそういうものだ、仕方ないと思っているためか、いつまでたっても改善されないようです。

こんな状況を打開する方法は、競争を持ち込むことでしょうが、現状、官庁の権力が圧倒的に強い旧社会主義国では、がんじがらめの規制や規定で競争が制限されています。競争と言うフレームワークを確立する問題と、実際にサービスを提供する人々の考え方、心の持ち方を変えていくための教育、訓練と言う二つの問題を解決する必要があるようです。
さて、その翌日の夕方6時、今度はトビリシから鉄道を使いバクーへ戻ったのですが(翌々日の朝10時にバクーで私がコーデイネーターを務めるフォーラムに間に合わせるには、鉄道しか手段が無いため。)グルジア側国境で2時間、アゼルバイジャン側で2時間、計4時間待たされたため、なんと15時間もかかりバクーに到着したのは翌朝の9時。夜行列車でもあり食堂車が付いている筈だったのが実際には食堂車は連結されておらず、トビリシ駅でビールとおつまみとクッキー、ミネラルウォーターを買って凌ぎました。

バクー駅到着後フォーラムの会場まで直行し何とか時間に間に合わせることが出来ましたが、この間はイライラ感と,諦め感が交錯し続けました。
このフォーラムは4日(土曜日)夕方の5時まであり、帰宅するとさすがに疲れがどっと出たのか夕方8時ころから翌朝の8時まで久振りに長時間よーく眠れました。(教訓。スケジュールは十分余裕を持って組むこと。
最も土曜日のフォーラムは本来その前の週の予定が突然1週間先に延ばされた為このようなことになったのですが…)

ところで、先々週の10月22,23日、ラマダン(断食)明けの休日を利用してイランと国境を接するアゼルバイジャン南部の地方へ行ってきました。マイクロファイナンス関連のNGOの方のガイドで、われわれ一行(日本大使館の若手スタッフ2名と国際交流基金から派遣されている日本語教師の方と私の4名。)はアゼルバイジャン北部とは全く違った南部の地域を見ることが出来ました。

風景は緑に包まれ日本の田園風景によく似ています。秋は特に雨が多い季節とのことですが、22日の夜小糠雨が降った程度でした。アゼルバイジャン南部には、タリッシュ語というイラン語に近い言葉を話す民族が住む地域もあり、亜熱帯的な気候地域だと地元の人は説明してくれましたが亜熱帯という感じでではありません。
又、この地域にあるレリックという町は100歳を超える長寿の人がたくさん居るので有名な場所でもあります。(1973年に昔168歳でなくなった人がいた‐必ずしも正確ではないようですが‐と報道され世界的に有名になったことがある)
この地域は、温泉もあり久しぶりに硫黄の匂うお湯に浸かってきました。
地続きで、カスピ海でも繋がっているイランとの国境にも行ってきました。イランは物価がものすごく安いため、この国境はいつもアゼルバイジャンからの買い物客で常に賑わっているそうです。
又、国境の向こうには20百万を越えるアゼルバイジャン人が住んでいるとのこと。でも別に物々しい警備とかはありませんでした。

この地域はお茶が名産ですが、果物の種類も豊富で、柿、みかん、ぶどう、キーウィー、ざくろ等あちこちで目にしました。
帰りの道中では、民族楽器の演奏者のお宅で笛の演奏を聞かせてもらったり、カスピ海沿岸道路脇で、ベルーガと言う魚(最高級キャビアがとれるので有名な魚ですが、食べても大変美味)を違法に売っている(ベルーガは乱獲から守るために保護されている)場所を目撃したり、今回の旅行も色々なことを体験できました。

加藤倭朗

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