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海外ボランティアとなる

キルギスからの便り

ビシュケク便り #1

キルギスへ来ててもう一月経ってしまいました。この調子だと一年なんてアットいう間でしょうね。ちょうど家の近くのエルキンデイック通りという広くて緑の多いまっすぐな通りを約40分ほど走って、シャワーを浴びビールを飲んでこれを書いています。
エルキンデック通りは、車用の車線の間にひろーい散歩道が2つもあり,ブランコや滑り台,ベンチなどもある美しい通りです。

もちろんソ連時代の遺産なのでその後のメンテが悪いため、そこここに穴ぼこがあったりはしますが、散歩やジョッキングには最高です。但し走っている人は約一名のみでした。此処の人は走らないのかな。体重計をまだ買っていないので分からないけれどそう体重は増えていなさそうです。
ズボンもきつくなっていないし。家の中は散々文句を言ってようやく家具らしきものが揃ってきました。まだ、テーブルやランプなどがきちんとなっていませんが。ビシュケクの人もお金(家賃3ヶ月前払い)をもらうと全く動きが鈍くなってしまうのはウズベクと同じです。

家主にとってこんなの好条件はないのに長期的に顧客を維持するという観念が全くないのは狩猟民族の性なのかも知れません。(バザールはその場限りの商売の典型、日本は長期的なビジネス関係を大事にする極端な例)
家に住んでみるとそれまで気がつかなかったことが結構目に入ってきます。例えば、水道。タシケントに比べ此処の水はきれいだと聞き、確かに濁ってはいないしきれいそうです。でも何回かお風呂に入った後、お湯を流すと浴槽に砂のような黒いものが残っているのに遅まきながら気がつきました。

髪の毛かと思っていたらどうやら砂or泥で水道の水をコップに入れよくよく眺めたら細かい砂のようなものがはっきり見えました。
タシケントのときは、水道水の色が茶色ではじめから覚悟していたけれど、此処は見た目はきれいな水だったのでかなりショック。気を引き締めなければ。でも今までのところ停電もないし断水もないし、電話もOKだし取り立てて問題はないのでそこそこ満足しています。部屋の数はタシケント時代と違ってたった6部屋ですがま〜しょうがないかというところです。(学生を家に呼ぶために広い家が必要なのです)
でも、詰め込めば7〜8人は泊まれるし。お風呂はジャックジー付だったので喜んでいたら実際は全く動かない。

大家は使ったことがないからわからないという訳の分からない返事でこれもカリカリ来たことの一つ。でも余り悪げはなさそうな人となので、しょうがないかとあきらめ気味です。ピアノは買ってもらったのですが音がいまいち狂っているよう(調律士に頼んで調律したと言うのですが)。
ピアノの先生を地元のビジネスマンに紹介してもらったので見てもらうつもりです。仕事関係は此処まできわめて順調に行っています。4月末に日本とシンガポールから講師を招いてキルギス日本センターPRのためのセミナーを催すのが当面最大のイベントで準備を進めている最中です。日本への関心は高くセミナーも上手く行きそうです。

先週キルギスの大統領が日本を訪問し又このほどキルキスの日本大使館を開設したとのですが。初代日本大使となるクタノフ氏が日本センターを訪ねてきて、今回天皇陛下にお会いするので陛下の作った和歌を教えて欲しいとリクエストがありました。
クタノフ氏は大阪大学に留学経験があり日本語も出来るのですがさすがに和歌は得意でないらしく尋ねてきたもの。早速宮内庁のホームページをくくってみたら歌会始の様子や和歌その英語訳まで見つかりました。これをクタノフしに渡すと大喜びで、その翌日又たずねてきて、シルクロードと日本の関係で面白い話題はないかという質問でした。大統領と天皇陛下との面談の話題つくりなのでしょう。

又ちょっとした資料を見つけ渡しました。でも日本の報道を見る限り、天皇との会見では、キルギス拉致事件が話題にばったとのこと。せっかくの準備もぼつになったようです。昨日は、ビシュケクから1時間ちょっとの田舎の村、ケゲテイに行ってきました。 今、JICAの親善大使になっているキロロがキルギスを訪問中で彼女たちがこの村で音楽を教えているJOCVの隊員を訪問し地元の中学生と音楽交流するというイベントがあったからです。

キロロのキルキス滞在記はフジテレビの番組で放送されるとのことでテレビクルーも一緒のにぎやかなご一行様です。 キロロは二人とも快活で愛想もよく感じの良い若者です。(といっても26歳)日本センターに来て生歌を歌ってくれましたがさすがに上手い!ベストフレンドはいい歌です。ケゲテイーでも生徒たちに大人気でした。
村としては何十年に一回の大きな催し物だったようです。JOCV隊員の教えている中学(1校だけではなく4校)の生徒は日本の歌を日本語で歌ってくれました。
散々練習したのでしょう。民俗音楽、舞踏も見せてくれました。キロロもごく自然にうれしそうにしていました。なかなか良い光景でした。来週は仕事で結構忙しくなりますが何とか上手いスタートを切りたいと思っています。

-倭朗-

ビシュケク便り #2

5月末の今日は爽やかな天気です。週末の土曜、日曜とイシククル湖の湖畔にあるロイヤルビーチホテルへ一泊で行って来ました。日本センター主催の観光セミナーに出席するためです。とはいっても、セミナーは当地にいるシニアボランテイア2名が行なうので、私は開会のスピーチをするだけ。ビシュケクから約3時間のチョクタル村にあるリゾートホテル(此処にシニアボランテイアの方一人が駐在している)は約3年前の出来たホテルで湖畔の広いし基地内に3階建ての本館と10数軒のコッテージ、食堂及びバー、室内プール、玉突き、卓球場、セミナールーム、プライベートビーチなどがあるなかなか豪華そうなホテルです。
2003年の夏にはエリツィン元ロシア大統領も宿泊したらしくその写真が飾ってありました。

外観はきれいなのですが、私が泊まったコテ−ジのドアは鍵を開けるのにかなり苦労する代物で(取っ手を使ってドアを持ち上げながら鍵を廻さないと開閉できない)コツを習得するのにかなり大変だった。
室内ランプも切れているのもあるし、当初は水とお湯が出なかった。洋服掛けを支えるバーが重いものをかけると落っこち紙をたたんで隙間を詰めようやく凌いだ---てな調子です。傑作なのは洗面所のシンクの蛇口は上下に動かし水を出し入れする方式のやつですが、シンクの上に据え付けてあるガラスの板が邪魔して水が出なかったこと。
又、トイレの便座と壁の間が狭く腰を下ろそうとすると壁におでこをぶつけることです。デザインも含め外観はきれいですばらしいのに中身はお粗末――旧ソ連圏の共通事項なのでしょうか。

とはいえ、食事もおいしく湖とその向こうに見える雪を頂く山々の美しさはなかなかのものです。湖の水温は15〜6度でかなり冷たいのにもかかわらず泳いでいる人がいました。皮下脂肪の厚さが違うのかな。
当方は、室内プールでキルギスにきてはじめて泳ぎました。でも水温は23度でかなり冷たく、体を温めるためにその隣にある小さなプール(子供用で28度)に入っていたら従業員が来てそこは子供用だから入ってはだめですと言いにきました。
よる9時過ぎで子供も大人も誰も泳いでいないのに。観光セミナーは3日間続くのですが、私は日曜の午後にビシュケクへ帰ってきました。

イシッククル湖地方とビシュケクの気温はかなり差がありあそこはやはり避暑地なのだと感じました。
観光産業はこの国で最も力を入れて開発しようとしている産業です。(キルギスにはウズベキスタンの綿花、カザフスタンの石油、トルクメニスタンの天然ガスといった軸になる産業がない)日本からの観光客はまだ年間2,000人以下。
これを例えばトルコ並み(10万人)にするだけでキルギス最大の産業のなる可能性があります。
その為には、やらなければならないことは山ほどあるのですが、こちらの人は前向きに問題を解決していこうと言う気概が不足していて、なぜ上手くいかないかと言う理由ばかりを探しています。

これも旧ソ連時代の名残なのでしょう。この辺のメンタリテイーを変えていかないと何をやってもうまくいかなそうです。(この点については、キルギスを援助している国際機関、外国政府、キルギスの民間ビジネスパーソンも同じ意見)
時間がかかりそうです。ところで、イシッククルでのセミナーにはJICAウズベキスタンから旅行に来たJOCV隊員の下山君(柔道3段)と彼のキルギスにいる同期隊員も一緒でした。ウズベクの隊員がキルギスに来るのはこれが二人目で、来月も一人来る予定。
おかげでキルギスの隊員たちともかなり親しくなれました。来月からはそろそろ仕事のほうも動き出さないといけないかなと思っています。(今までは、調査、企画の段階でこれからはその実施段階と言うことで、今までサボっていたと言うことではありません。)

-倭朗-

ビシュケク便り #3

昨日の日本センター開所セレモニーは無事終了。前日は雨もようの天気だったけれど、当日はからりとした五月晴れとなりラッキー。大統領の祝辞はかなり長く(30分弱)今まで世話になった日本人の名前を幾つか挙げるなど、日本の援助に対し感謝の言葉を述べていた。又、原稿なしのスピーチは好感が持てた。
祝辞のあとの催し物、(和太鼓演奏ーJOCV隊員がリーダーであとは全員キルギス人でまだ始めて2〜3週間のはずーも良かったし、柔道、空手、合気道の演舞は日本人なしで全員キルギス人(ロシア人も)で女性も含まれていた。
当地では、女性が格闘技系をすることはないのでかなり珍しかったよう。
以上は、センターのある建物(キルギス国立大学の校舎)の前で行なわれ、それが終わると建物のなかの日本センターの見学に移った。

ところが、我々日本センターのスタッフは、セキュリテイーにとめられては入れないという次第になってしまった(除く、センター所長)。式典が始まる前にも、日本から来たJICAのスタッフが建物に入れてもらえずしばらく待ちぼうけという事態もあったし。
大統領警護隊としては事前にもらっているリスト以外の者を建物内に入れることは出来ないとのことで、もっともな理由。リストを作った人が入れ忘れたよう。

センター内で大統領とその娘さんが、生け花教室に立ち寄り、JOCVの生け花隊員の指導で花を生けたそうです。式典は約1時間半で終わり、皆ほっとしていた。特にキルギス側の国立大学学長、副学長がやはり一番大変だったよう 。式典が終わったあと、中華レストランでレセプションがあり2時頃に散会、そのあとは金曜の午後でもありそのまま帰ってもよいということになった。皆疲れていたらしく、うれしそうだった。

ところで、浴室のお湯の話の続き。シャワーは出ることになったのだけれど、昨日は、突然水になってしまった。なぜかというと、タンクの用量が小さくて3分ぐらいしか持たないとのこと。もうーまったく!お湯が途中で止まるとかなり大変なのだということが今頃分かった。
今日は、9時ごろからバザールへ行ってきた。スコットニーとタルスノックというバザールで、前者は生き物、後者は衣料雑貨のバザール。スコットニーでは、馬、牛、羊、ヤギ、豚、ウサギ、鶏、ひよこ、アヒル、七面鳥、鴨(かも?)が生きたまま売られていました。なぜか豚は子豚だけが売られていて、車のトランクに皆納まっていました。牛も子牛が殆ど。馬はそうでもなさそう。

皆、買ったのを育てて高く売るのかな?羊たちは短い縄で横に張られたロープに隙間なく結び付けられ前足は、一段高いプラットフォームに置かされているーつまり犬のちんちん状態ーでぎっしりと並ばされていた。
買った羊や牛を運ぶのも大変のようで、牛は縄でたたき、引っ張り、羊は前足を持って後ろ足だけで歩かせて、それでもだめなやつは二人かかりで抱っこして運んでいました。それでも、逃げ出す牛や、羊がいて結構大変そうでした。
タルスノックは、タシケントのイパドローム(競馬場前の大きなバザール)と同じような衣料雑貨中心のバザール。でも大きさはこちらのほうかはるかに大きい。

船に使うコンテナを利用して店を開いており外から見ると広場にコンテナがつんであるだけに見える。数年前は小さかったのがどんどん広がって大きくなったそう。カザフスタン(近い)、ロシアからも買い物に来ているそうな。とても全部は回れず、ほんの一部を見て帰ってきた。
明日は天気がよければ、博物館、美術館めぐりでもするつもり。では、また

-倭朗-

ビシュケク便り #4

キルギスも日本と似ていて5月1日から、2日、3日、5日と連休が続きます。(1、2日は労働者の休日(旧メーデー)、3日は振り替え休日、5日は憲法記念日)
この連休を利用して作家の井上靖が熱望したけれどいけなかったイシッククル湖へ行ってきました。キルギス日本センターの依頼で当地で講演を行なった慶応ビジネススクールの小野教授ご夫妻とご一緒しました。
小野夫人はカメラウーマンとしてプロ級の腕前を持ちコンテストでも数々の入賞をしているとのことで、今回は初めて1眼レフのデジカメを使ってみたとのことでした。

旅行中気に入った被写体が目の留まると(その土地その土地の人物に関心を持っている)車を止めスナップ撮っていくという方法で、言葉の壁もなんのそのさすがの腕前でした)子供たちやお年寄りと直ぐ仲良くなれると言う特技があり、同行した我々も充分にそのお相伴にあずかることが出来ました。(小野夫人は、中南米、東南アジアにも一人で出かけて写真を撮り続けて来た方で1日5ドル以上の宿にはなるべく泊まらない様にしていると言っていました。
)イシッククル湖は彼の三蔵法師もかなりの期間を過ごしたといわれている美しい湖で、70kmx170kmの大きな湖です。
透明度はバイカル湖に次ぎ世界第2位とのことで、湖面の向こうに聳える白銀を戴いた天山山脈の峰峰の美しさは一度は見る価値があります。

1500メートルの高地にある湖にもかかわらず、冬も凍らない由。(イシッククルとはキルギス語で暖かい湖、然し、夏でも水温は22〜3度にしかならない)ソ連時代は、共産党幹部の避暑地として使われていたそうで、現在も夏を過ごす人たちで賑わうところです。今回の旅行の一日目は、キルギス大統領の生まれ故郷で湖から一時間ほど離れた村の民宿に一泊しました。
そこでは馬に乗り約2時間ほど広々とした山裾を歩き、走りました。乗馬が始めての小野夫妻と、乗馬経験6ヶ月の私と、キルギス人の通訳の女性メンバー全員大満足でした。
雄大な山々をバックにひろ〜い草原をパッカパッカと走るのが夢だった私のとってはまさにご機嫌のひと時でした。民宿のおばさんは、外国人向けの民宿を3年前に開業して現在では従業員数20人の規模に育て上げた経営能力の持ち主で、小野教授はこれに甚く感激し起業のケーススタデイーとして是非これを書き上げるべきだということになり、早速小さいながらも日本センターのプロジェクトとして手がけていく予定です。(遊びばかりでなく仕事もやっているのです!)

その後湖で最も賑やかなチョルポンアタという町で一泊、湖を充分堪能した後、東の端にあるカラコルという町で一泊。
此処は中国まだあと僅かの町で、ドゥンガン人(中国系、イスラム教徒?今一つはっきりしない)が多く住む町だそうです。
中国、日本のお寺とそっくりな屋根を持つモスクを見たり、木造のロシア正教教会を見たりなかなかエキゾチックな景観でした。
この付近には、ソ連時代魚雷実験場があったとのことで井上靖が此処へ来られなかったのもそういう理由であったのかと思われました。

この湖は水位がかなり変化し(地震なども含め)ており、19世紀末中央アジアを探検したロシア人のお墓は当時遺言で湖畔に建てられたのが現在では20メートルほどの高台に位置している。
又現在は湖底に没している町がありヘリコプターからそれが見えるとのこと。今回は予算の都合でヘリコプターはあきらめました。カラコルでの夕食は、ドゥンガン人の家庭でドウンガン料理をご馳走になりました。
まず最初に、ジャムの入ったパイのようなものとお茶が出された後、野菜(にんじんサラダ、にら肉炒め、フンチョーザというぷりぷりした寒天のようなもの?)中心の料理のあと、羊肉の肉じゃがが出て皆、満腹。
家族総出でのもてなしは大変楽しいひと時でした。

翌日は、まだ余り開発のされていない湖の南部をドライブしてビシュケクに帰りました。途中温泉があったのですがこの季節はやっていないとのことでちょっぴり残念。
イシッククル地方は高度が高いこともありかなりの涼しさでダウンジャケットが必要でしたがビシュケクは相当に気温が高く、半袖の人ばかり。やはり、あそこは避暑地でした。

-倭朗-

ビシュケク便り #5

7月に入り日本センターのあるキルギス国立大学のキャンパスもめっきり人通りが減ってきたようです。夏休みで学生、先生ともどこかへ行ってしまったようです。
暑さを避ける為イシククル湖へいっているのだという話です。タクシーに乗っても運転手からイシククル湖へ行ったか?と言う質問ばかりされると嘆いている方もいました。でも暑いと言ってもタシケントの暑さに比べれば余り問題ない暑さです。
湿気は多少こちらのほうが高いようですが、これも日本に比べればまったくどうと言うことはないような程度です。と言うわけで、かなり快適な生活を送っていますし、イシククル湖へ行けばもっと快適な日が送れそうです。

 

仕事の関係でいろいろな会議に参加することがあります。殆どが国際援助機関の主催する会議又はラウンドテーブルで、キルギスあるいは中央アジアの経済開発、人材教育、外国投資誘致など議題は様々です。
これらの会議を通じて、国連、世界銀行、アジア開銀、欧州開銀、米国援助庁(USAID)、EU、GTZ(ドイツ援助庁)、SICA(スイス援助庁)などに加えこれらの機関の傘下にある組織(営利企業、NGOなど)の方々と話す機会が多くなりました。
会議に参加する人たちの顔ぶれも大体決まっていてかなりの方々と顔見知りになりました。逆に言うとこの種の会議が多い、援助機関(業界用語でドナーと言うらしい)が争って援助しているといったら言いすぎでしょうか。
このうちでやはり存在感がダントツなのはアメリカで、USAIDとその傘下の組織の活動は歴史が長いこと、又人数が多いこともあり何処へ行っても目立ちます。

民間組織でも同じで、例えば国際商工会議所は(当地ではかなり権威のある組織で政府当局に対してもいろいろアドバイスを行なっており、政府当局のほうも彼らを頼りにしている節がある)アメリカ大使館、USAID、アメリカの民間企業のメンバーが中心となって活動している。
他の事は分かりませんが、私企業経営への支援、企業人材の開発育成などに関して言えば、今までいろいろな支援、人材育成プログラムが各国の援助でなされてきたわけですが、これらは必ずしも成果を挙げてはいないようです。例えば、私企業振興のための法律インフラ整備−会社法、税法、会計基準、労働法、倒産法等等―にはかなりのお金と時間をかけて援助を行なってきてはいるのですが、現実にはまだまだ私企業の数を増加させるという具体的成果にはつながっていないようです。
その理由の一つは、法律にしても体系的に見直さないと結果として整合性のない、あるいは矛盾するような法律ができてしまうと言うこと、又、税法をはじめとして、法律にはしてみたものの、実務上はその実行が出来ない(行政能力の問題あるいは腐敗の問題)ことが問題のようです。

なぜこうなるのかと言う理由は沢山あるのでしょうが、私には一つ気になることがあります。それは、これらの援助機関の人たちが余り自らの手を汚さないようなタイプの人が多いということです。
各国のドナー機関(JICAもそう)は、支援案件、プロジェクトを企画し、調査検討はするのですが、その実施は別の機関、組織に委ねています。つまり一番大切なところは自ら手を染めていない、人任せにしていると思われるのです。(私の国際援助に関する経験はまだまだ限られているので、このような見方は間違っているのかもしれませんが)特に実施機関として現地の組織、人材を中心にしてプロジェクトをやっていこうとすると(援助の継続性−サステイナビリテイ−と業界用語では言うらしい−の観点からこのような方法がとられるようです)企画、計画していることと、実行されていることの内容、レベルがとてつもなく離れてしまう危険性が高いように思えます。

これは考えてみればきわめて当然で、現地の人材組織が、企画、計画されたことを完全に理解し実行できるようであればこんな楽なことはない訳で、現実はまったく異なるようです。
物事を教えるには、(技術移転を行なうには)山本五十六ではありませんが言ってみるだけではだめで、やって見せて、やらせて見て褒めてあげなければだめだと思います。これらのことはすべて現場の作業で、教室ではなかなか出来ないことでしょう。 「現場」を対象にしない人材育成、技術移転プロジェクトは問題解決にはつながらないような気がします。もちろん米国流のMBAプログラムで使われているケースメソッドは、それなりの意義と効果はあるのでしょうが、それで充分、あるいはそれがベストな方法ではないと思います。

日本の企業組織(恐らく官庁でも同じだと思いますが)内での人材教育、育成のやり方を途上国へ持ち込むことが出来れば、上記の問題は解決できる可能性が高いと思います。但し、それには、一定の期間教える人が現場で、自ら手を突っ込んで教えることが不可欠ではないかと思われます。また特に、人間関係を大事にし、人情の機微に敏感な日本人ビジネスマンはこのような仕事に適任だと思います。
なぜこんなことを言いだしたかというと、先週、国連(UNDP)から中央アジア地域に跨る人材開発協力について調査を行なう計画がありその参考として、人材開発に関わっている各国ドナー、NGO、外資系企業等の意見を聞く会が開かれ、上記の点が議論されたからです。UNDPの本件プロジェクトは、UNDPとアジア開銀が中心になり調査レポートを作成すると言うもので、調査テイームのリーダーは世銀を最近リタイアーしたアメリカ人です。

その調査項目は他の参加者からまるで百科事典を作るつもりかという痛烈な批判が出たのを始め、まったく現場の知識、経験を踏まえていないプログラムである、もっと現実にあったことをやって欲しいとの意見が多くだされました。私にとってもこの会議がUNDP関連のプロジェクトとしては2回目の経験で、前回もまったく同様な印象を持っていたので、ただ単に分厚いレポートを作るのではなく、実際に役立つものがナンなのかを見極めたうえでレポート作成プロジェクトに取り掛かって欲しいと意見を述べました。(例として、ウズベキスタンとタジキスタンの間の直行便がなぜ開設されないのか−話し合いはここ数年行なわれており、2国間をつなぐ飛行便は両国の協力関係構築上最も求められている事柄なのに−その理由、背景を調べ解決方法を探って欲しいというリクエストを出してみました。)

間違っているかもしれませんが、どうもUNDPの人たちは、レポートを作ることが目的のように見えて仕方がありません。前回参加したUNDPの会議でも、いかに調査プロジェクトを作り上げるかに重点が置かれているような感じを持ちましたし、今回も同様でした。
小生の誤解だと良いのですが。と言うわけで、日本センターの企業経営コースは実務に役立つプログラムにすることを最大の目標として、従来とは多少異なるプログラムにすべく準備中です。

-倭朗-

ビシュケク便り #6

9月に入りビシュケクの気候は日増しに過ごし易くなっています。ビシュケクは旭川市と同じ緯度に位置するとのことですから冬はかなり寒くなるのでしょう。私が当地に着てから既に5ヶ月が経ち6ヶ月目に入っています。
ここでの仕事である、キルギス日本人材開発センターのビジネスマネジメントプログラムを来月初旬にスタートすべく、準備に結構忙しい日々を送っています。このプログラムは、5ヶ月間の起業家育成コースで昼間のクラスと夜間のクラスの2クラスを同時に開講する予定です。

ビジネスウーマンも含むビジネスパーソンを教育、養成するプログラムは、既に他の先進国援助機関が、中央アジア5カ国を含む、いわゆる市場経済移行国に対していろいろ実施しています。
典型的なのは、市場経済とはどんなメカニズムか等、マクロ経済理論を中心として経済セミナー(たいていのセミナーは1-2週間の短期セミナーで外国人講師が講義を行うと言う形式)や、会計、生産管理、経営戦略、マーケテイングなどの経営講座(これの1-2週間の短期講座が中心)です。
アメリカを始め、ドイツ、フランス、オランダ、イタリア、スイス、北欧諸国が援助資金を出し、市場経済化を推進するための教育、研修プログラムをここ10年以上にわたって進めてきています。

市場経済への道を歩もうとしている中央アジア5カ国(ウズベク、カザフ、キルギス、タジク、トルクメン)の中でも、キルギスは最も対外的に開放度が高く、外資規制、貿易為替規制なども殆どなく、WTOにもすでに加盟済みです。
キルギスは、IMFの優等生と言われるくらい市場経済化のためのインフラストラクチャー整備の取り組んできています。この対極にあるのがトルクメニスタンとウズベキスタンで、共に対外経済開放度は、ある西欧調査期間によれば世界150カ国中、145、146位を争っている状況です。(ちなみに150位は北朝鮮、149位はキューバです)キルギスはこのランクでは80位台と健闘しています。ですが、実体経済はどうかというとこのような高ランクとは必ずしも関係なく未だに独立前の経済レベルに戻っていないという状況ですし、一人当たりの国内総生産は未だに400ドル以下の最貧国レベルです。

経済の自由化、対外開放(法制度、税制、許認可行政、金融規制などの制度改革、貿易、投資の自由化が中心)を進めれば発展が可能になるという考え方は現実には当たっていないようです。
何故なのでしょうか?私はこの疑問を恩数ヶ月間、各国の援助機関の人々にぶつけてみました。彼らも同様な思いを持っており、何故経済の自由化が現実の経済発展につながらないかと言う点に関しては、"Implementation Gap "が問題であると言うのが共通の認識であるようです。つまり、制度は出来たが、実施、実行面で現実との間に大きなギャップがあるということです。例えば、新しく企業を起こす手続きに関していえば、法制度上はかなり簡単に設立が出来ビジネスが開始できる法制度に改革されています。

しかし、現実には、諸官庁(含む地方行政機関、警察、消防署、衛生基準、建築基準、環境基準等等)の許認可に加え、その後の検査など現実には従来と殆ど変わっていないようです。と言うより、そもそも新しいこれらの法制度について殆どの人が知らない、知らされていない、知っていても担当官の勝手な解釈がそのまま罷り通るのが現実のようです。担当官の勝手な解釈と言うのは、まさに彼らの自分勝手な解釈で、多くの場合許認可に託けて賄賂を取るためのようです。

難癖をつけて認可をしなければ、民間企業家はそのような状況を打開するために賄賂で解決という図式になるようです。
まだまだ経済活動においても旧社会主義体制下の様な『官の圧倒的権力』が横行しているのが現実のようです。国内企業だけではなく、外国企業に対しても同様で、例えば日系企業でも全く貿易契約に知識のない役人がとんでもない理屈を持ち出し認可を出さないことがしばしばで困っている由です。

腐敗(コラプション)は何処の途上国でも大きな問題になっているようです。キルギスでも、役人の給与が法外に低い(一月の生活費の4〜5分の1程度の給与レベル)のがその理由で、又、皆そのことを知っているが故におかしいとは思いながら現実にはこのような動きに流されているのでしょう。では、どうすれば良くなるのか?役人の給料を生活できるレベルまで引き上げると同時に、腐敗行為に対しては、罷免等の厳罰で臨むというアメとムチの政策を採るべきだと思います。
ある人は、役人の給与をそんなの上げたら財政赤字が増え、たちまちインフレになると言います。

しかし、現実には、賄賂と言う形で私的給与が支払われているのですから、納税者に対し賄賂でなく税金を払ってもらうようにすれば難易も問題は起こらないように思われます。
もっとも、納税者の政府への信頼度が低く、なかなか税金を払ってくれないという現実もあるでしょうが。これは国家としてなんとしても実行しなければならない仕事なのでしょう。
キルギス日本人材開発センターのビジネスマネジメントプログラムの狙いは、役に立つ企業経営実務を教えることだと考えています。
従来の西欧先進国の企業家教育が、いわゆるビジネススクールをミニ化した経営に関する知識を講義研修するタイプであった(と私は感じています)のに対し、日本センターの起業家育成プログラムはこの国で新しく企業を起こすために現実に必要なことを教え、場合によっては生徒たちと一緒に具体的方法を考え開発していく方向を目指そうと思っています。

そのためには、生徒の人数を絞って、起業を真剣に考えている一人一人の生徒をじっくりと育てて行きたいと考えています。
そのための仕組みも考えつつあります。講義などの授業を行なわない期間を合計4週間設け、その間に、生徒と1対1で(或いは生徒1に対し講師2乃至3)で個別具体的な問題を討議し解決方法を探る時間もとっています。この期間には、JICAのネットワークを使用してビシュケクの生徒と東京の日本人講師とのテレビ会議方式のセッションも計画しています。実務上役に立つ教育研修プログラムというのは、結構組み立てるのがしんどいものの様です。ですが、何か今までにない新しいやり方を探していくことは、何となくわくわくする事でもあります。私だけではなく、私のアシスタントのキルギス人も結構楽しそうにこのプロジェクトを手伝ってくれています。

まだ今のところ、計画段階ですので、楽観的に考えていられる状況ですが、いざ実行となるとかなり大変なのかもしれません。ある起業論の専門家が言っているように、新しいことを起こすのに一番大切なことが、現実的楽観主義を保つことであるとすれば、この点は合格点をもらえるかもしれません。次回の便りが悲観的にならないように、ちょっと頑張るつもりです。

-倭朗-

ビシュケク便り #7

早いものでビシュケクへ来てから半年経ってしまいました。朝晩は5度以下でかなり冷え込むこの頃です。でも日中はさわやかで快適。空気が乾燥しているせいか、当句の雪を頂く山々がものすごくきれいに見えています。
この2-3週間、私の仕事である「日本センタービジネスコース」の10月11日開校を控え準備に大忙しです。(5ヶ月間のコースで来年3月まで。10月8日に開校式を行いました)まず、授業の通訳兼アシスタント1名を募集したところ、30名が応募してきて、面接が大変でした。

一人約20-30分、第2次面接を6人やってその結果1名を本採用、1名をインターンで採用。二人とも20代前半の若者で一人はタジク人(でも色は白くロシア人と同じ)でキルギスとタジクの柔道100キロ超級チャンピオン。もう一人はキルギス人ですがこれも190センチを超える細いが背の高いやつです。
日本センタースタッフの給与は地元の企業や官庁と比べて圧倒的に高いので当然人気があります。
応募者の中には現役の大学教授なども含まれていました。同時に、ビジネスコースで講義を担当する現地講師も募集しこれも20名くらいと面接しました。(ビジネスコースの授業は日本から派遣される講師と現地講師が協力して科目別に担当する)

今後、各授業ごとに1-2週間の単位で来てもらうことになります。又、講師とは別にカウンセラーとして学生たちと講師の間のギャップを埋め架け橋となるカウンセラーを採用しました。(大学教授で心理学、経営学の素養を持つ女性カウンセラー)面接と言えば、ビジネスコース(起業家育成コース)の受講者を新聞広告、テレビのテロップ広告で募集したところ、110名の応募があり、これも全員面接しました。
応募用紙(5ページ)の英語への翻訳も大変な作業でしたが面接(一人当たり15分)もかなりな作業で丸々1週間朝から夕方まで面接ばかり。

結構疲れました。でも応募者にいい加減なやつは全くおらず、みんな真剣に応募してきていることがわかりました。
ビジネスコースの授業料は5ヶ月で250ドルと当国の生活水準から見るときわめて高いこともその背景でしょう。(月給40ドルもらえれば良いほう)金曜日にようやく面接が終わって、選考を始めましたが、これもそう簡単には行かず時間がかかりました。クラスは、昼間のコース(3時から6時)と夕方のコース(5時半から8時半)の二クラス、各20-25人で募集しましたが、夕方のコースのほうが断然人気がありました。

すでに仕事を持っている人が月給の数倍以上を払っても起業家になりたいと考えているわけで、コースへの強い期待を感じています。応募者は若い人だけでなく、40-50歳代の方も、又女性も多く混じっています。
ソ連時代からの国営企業を引き継ぎ経営にあたってきた年配の経営者も、何とか新しい事業展開を図ろうとこのコースに応募してきています。
できれば全員受講生にしたいところですが、そうもいかず最終、昼間のクラス20名、夜のクラス25名でスタートということになりました。

明日の開校に向けての準備と同時に、自分の担当講義の準備もありこれもなかなか大変ですが、せっかくなら出来るだけの講義内容にしたいと思っています。(コースは、一方的な講義ではなく、ケース討議中心のインターアクテイブなもの−講師と学生、学生と学生間の質疑、やりとりを中心により具体的内容の授業−にする計画です。
このような授業のやり方も当国では珍しいやり方のようで大学関係者も興味を持ってみているようです)コース内容を大いに盛り上げるため現地講師(一部は隣国ウズベキスタン、カザフスタンからも招請予定)、新しく採用したアシスタント兼通訳君たちにも大いに活躍して欲しいと思っています。

11日から授業の開始ですが、現地の教授陣の話を聞くとこちらの学生たちは?分からなくても質問をしない。?事前に教科書、資料を読んでこない。?宿題をやらない、ことが多いのでインターアクテイブな授業といっても大変ですよと忠告してくれています。
もちろん新しいやりかたの授業を導入することは容易くないと思いますが、チャレンジしてみるつもりです。そのために、授業内容を面白くすること、本当に役に立つと思わせること、自分で勉強することの楽しさを分かってもらうこと等を具体的な工夫を通して実現していくことが必要かと思っています。 明日からいよいよ開幕試合に臨む心境で

-倭朗-

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